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令和7年度奈良女子大学卒業式 学長式辞

学長式辞

 本日、奈良女子大学を卒業される皆さん、誠におめでとうございます。皆さんの門出を祝し、ご家族ならびに関係者の皆さまに心よりお祝いを申し上げます。

 今、私たちの目の前にある世界は、混迷を極めています。ウクライナでの戦争は出口が見えず、ガザ地区の人道的惨状は目を覆いたくなるほどです。さらには中東情勢を巡る軍事的衝突など、連日のように届く報せは、私たちが積み上げてきたはずの「文明」や「国際秩序」がいかに脆いものであるかを突きつけています

 このような戦乱の世を前にして、皆さんは無力感に襲われるかもしれません。しかし、こうした時代だからこそ、大学という「知の砦」を巣立つ皆さんに考えてほしいことがあります。それは、真の平和への道は、決して武力や経済的な合理性の延長線上にはないということです。

 私は今から35年以上前の1989年、初めての海外調査でヒマラヤの小国ブータンを訪れました。当時、年間に入国を許された外国人は1万人にも満たず、私はその稀少な一人として現地に立ちました。当時のブータンは、経済統計の上では世界最貧国の一つに数えられていました。しかし、実際にその地を踏み、人々の暮らしに触れて感じたのは、統計数字とは全く異なる「自然の中で生きる人々の力強い生活力」でした。そしてそこには、自給自足や物々交換に象徴される、現代的な経済指標には決して表れてこない、深く、豊かな人々の営みがあったのです。

 この経験は、既存の物差しがいかに一面的であるかを私に教えてくれました。経済的な豊かさだけが人間の幸せに直結するわけではない。それはブータンが国家として掲げる、GNP(国民総生産)ではなくGNH(Gross National Happiness;国民総幸福量)を重んじる姿勢にも通じます。何をもって「豊か」とし、何をもって「幸せ」とするのか。その本質を見極めることの重要性を、私はブータンで身をもって知ったのです。

 私は研究を通じて「生の現場や過去の自然」と対話する中で、ある思いを強くしてきました。それは、人間同士の対立の根源にあるのは、相手を生身の人間として捉えない「想像力の欠如」ではないか、ということです。爆撃の犠牲者数、領土の面積、イデオロギーの相違。そうした大きな言葉の陰で、一人ひとりが持つ「固有の時間」や「生活の彩り」が、いとも簡単に消し去られていく。これこそが戦争の本質ではないでしょうか。

 本学で培った「しなやかな知性」とは、単に知識を蓄えることではありません。自分とは異なる背景を持つ他者の痛みを、自分のこととして想像しうる力です。奈良という悠久の時が流れる地で学んだ皆さんは、目先の効率や勝ち負けといった「他人の物差し」ではなく、より深く、慈悲深い視座を持っているはずです。

 平和への道は、壮大な政治的合意のみで作られるものではありません。日々の生活の中で不条理に気づくこと。他者の尊厳を傷つける言葉に異を唱えること。そして何より、自分自身の「感性」を麻痺させず、「これはおかしい」という心の声を信じ続けること。そうした小さな、しかし意志ある決断の積み重ねこそが、負の連鎖を断ち切る確かな基盤になると信じています。

 皆さんが卒業を迎えた今、日本の高等教育に目を向けると、2024年度の大学進学率は男性が約62%、女性も約56%と、大学教育は一般化しました。しかし、大学院への進学率は男性の約16%に対し、女性は約7%にとどまっています。OECD諸国と比較した際の、大学院教育におけるこの低調さと男女差は、社会の意思決定層における知的基盤の脆弱さと、多様性の欠如にも直結しています。

 本日、大学院へと進む皆さんは、その知の探求をさらに深めてください。複雑化した世界の課題を解きほぐすには、高度な専門性と、粘り強い研究の姿勢が不可欠です。

 一方、明日から社会へ出る皆さんにも伝えたいことがあります。実社会では、正解のない問いに立ち尽くす日が必ず来ることでしょう。そのとき、もし自分の中の知性が渇くのを感じたなら、いつでもこの学び舎に戻ってきてください。今、大学は「一度きりの通過点」ではなく、経験を携えて戻る「リカレント教育」の場としても進化しています。皆さんが社会で得た「問い」を手に再び本学の門を叩くことを、私たちは心から待ち望んでいます。

 これから皆さんが歩む道には、多くの困難が待ち受けていることでしょう。しかし、どんなに暗い時代であっても、自分自身の時間を他人に委ねず、自らの感性を羅針盤として進んでください。皆さんが、自立した一人の人間として、この不確かな世界に「対話」と「共感」の灯をともし続けてくれることを、強く願っております。

 皆さんの未来が、平和で実り多きものであることを心から祈念し、式辞といたします。

2026年3月24日
奈良女子大学 学長
高田 将志